アイヌ・先住民研究センター 山崎 幸治教授
北大道新アカデミー2024後期総合 第1回
- 北大道新アカデミー2024年度後期 総合コース
- 2024年9月14日(土)開催
- 「先住民族イメージと動物」
- アイヌ・先住民研究センター 山崎幸治教授
2024年度後期から、北大道新アカデミーは新しく総合コースを開講しました。総合コースでは、現在問題になっている社会問題などに対して、北海道大学の文系・理系を横断した講師陣が講義をしていきます。はじめてとなる今期のコース名は「動物と人間社会」です。
初回の山崎幸治教授の専門は文化人類学で、特に博物館を舞台にしてアイヌ民族の民具を研究しています。山崎教授は、動物と人間社会の関わりの問題を考える上で必要なイントロダクションとして、「先住民族イメージと動物」と題して、アイヌ民族に対するイメージと動物、特にエゾシカとの関係について講義をしました。
アイヌ民族のイメージ
まず山崎教授は、現代社会においてマジョリティとなる人々は、先住民族に対して「自然と共生している」というイメージを持ちがちで、そのイメージにもとづいて「彼らに学ぼう」という傾向がある、と指摘しました。このようなイメージは新しい物ではなく、19世紀に世界を探検したクルーゼンシュテルンもその著書『世界周航記』(1811)の中で、アイヌ民族の性質を生来のものとして非常にポジティブに伝えています。
このような捉え方は文化人類学では「高貴なる野蛮人(noble savage)」と呼ばれており、戦争が続く当時の閉塞した欧州人が違う文化に投影した理想像や、他民族に対する優越意識などがないまぜになったものだと言われています。
山崎教授は、現代にもこういったイメージの系譜が引きつがれており、現代に生きているアイヌ民族がもつ多様なアイデンティティが軽視される状況があると指摘しました。流暢にアイヌ語を話し、伝統料理を食べ、野山で猟をする・・・といった「パーフェクト・アイヌ」はイメージの押し付けなのです。
そしてさらに、実際問題として、野山で猟をするというアイヌ民族の伝統的な生業が、北海道の「開拓」の中で失われてきたことをお話しされました。
北海道におけるエゾシカの歴史
現在北海道には、エゾシカは70万頭以上いるとされており、農業被害や鉄道・車の事故などが非常に多発しています。実は過去にはエゾシカは現在と同じ程度の頭数がおり、アイヌの人々は様々な方法でエゾシカをとっていました。伝統的な猟では手弓や仕掛け弓が多く使われ、トリカブトの毒を付けた矢が使われたとのことでした。
しかし明治期以降「開拓」が始まり、毎年6万~13万頭が捕獲され、減少が始まります。これに対して開拓使は1876年の「北海道鹿猟規則」で猟を制限し、毒矢も禁止し、当時のアイヌ民族にとっては不慣れな銃への移行を求めました。そこには当時の為政者が持っていた、毒矢は野蛮であるという考えが背景にあったと言われています。
このような人為的な要因と、1879年の記録的大雪によるエゾシカの大量死により、エゾシカは激減し、その後1950年代までエゾシカ猟はほぼ禁止されます。そしてアイヌ民族の生業も、それを支える自然環境も大きく変化していったのです。エゾシカの増加は、1980年代後半からと言われています。
歴史が与えた影響
現在、存命のアイヌの古老にかつてのエゾシカ猟についてたずねても、ほとんどエゾシカがいなかった禁猟期間と重なるため、当然ながら実体験や伝統的知識を語れる人は非常に少ないというのが実情だと山崎教授は指摘します。
このような歴史があることをふまえずに、アイヌ民族が「自然と共生する」文化を、現在も当たり前のように受け継いでいると語ることは、歴史を軽視し、イメージの押し付けになってしまいます。
山崎教授は、北海道の自然環境と人口は時代のなかで激変しているという認識をもったうえで、この地で育まれてきたアイヌ民族の歴史と文化、現在のアイヌ民族のアイデンティティのあり方を尊重しながら、この島に住む人々が一丸となって、今ここからできることを考えていくことが必要である、と講義を締めくくりました。