活動報告

実施報告:北大道新アカデミー2026前期理系コース(工学研究院)

フロンティアエンジニアリング - 未踏の領域を切りひらく技術

技術のフロンティアは、いつの時代も過酷な環境と向き合う場所にあります。風や波、雪や自然災害、そして地政学リスクや人口減少社会への対応——これらを可能にするためには、基礎科学に基づき、環境と社会を実際に制御するという工学的アプローチが必要です。工学研究院の6人の研究者が多様な視点から先端事例を紹介します。 


第6回「風水害リスクがもたらす影響と、私たちが活かせる可能性」2026.5.30(土)
山田朋人教授(工学研究院 土木工学部門)

「地球温暖化」から「地球沸騰化」の時代が到来したと国連が警告を発する現代、水害リスクは世界的に高まりつつあります。NASAでの研究経験も持つ山田教授は、最新の気象予測データと数理統計を駆使し、将来の水害リスクを数値化する研究をしています。そしてさらに、その知見を元に地域社会と連携した防災の実践にも取り組んでいます。

左)2056年に起こり得る豪雨パターンのシミュレーション結果。十勝川上流域に大雨が降っている〈画像提供:山田朋人教授〉右)受講者の質問に答える山田教授。

戦後の治水整備によって1990年代後半まで減少傾向にあった日本の水害被害は、近年再び増加に転じています。特に北海道では2016年に1週間で三つの台風が上陸するという観測史上初の事態が発生しました。背景には、強い勢力を保ったまま北上する太平洋ルートの台風の増加があります。

現在、世界では、過去の観測データのみに頼る防災計画から、観測を基軸としつつスーパーコンピューターを用いたシミュレーションによって数値化されたリスクに基づく計画へと、パラダイムシフトが起きています。山田教授はその最前線で研究を進めるだけではなく、地域や個人が判断してリスクを制御する実践も重視しています。その際、治水のあり方として紹介されたのがオランダの事例です。中世より堤防の中に人々が住み、共同体が主体となってリスクを共有し、水管理を担ってきました。このような住民文化の歴史は、現代の防災を考える上でも重要な示唆を与えています。山田教授は、帯広市や芽室町においてリスク情報を意思決定に接続するために、地域住民や企業、自治体が連携する「共創型水防災訓練」にも取り組んでいます。

「歴史は一度きりだが、可能性は膨大である」。科学が示す複数の未来図を参照しながら、人々が「後悔の少ない意思決定」を行えるよう支援すること。それが工学の果たすべき役割であり、山田教授が示すフロンティア・エンジニアリングの姿でした。


第5回「ナノサイズ半導体の物理 光でスピンを見る・操る」2026.5.23(土)
鍜治怜奈准教授(工学研究院 応用物理学部門)

前回に続き半導体がテーマの本講義では、光とナノテクノロジーを掛け合わせることで拓かれる新しい物理の世界と、未来の生活を豊かにする応用への展望について、鍜治准教授がお話をしました。講義の所々では、台湾の半導体研究・産業の様子や、「半導体研究者」のイメージと現実についてのお話も交えながら、和やかに進められました。ミクロで先端的な基礎研究も、実は六角レンチ等の身近な道具による微妙な調整の技で成り立っているというお話に、受講者は深い関心を寄せていたようです。

写真左)愛用の六角レンチを示す鍜治准教授。これによって実験装置を微調整します。写真右)究極のシート状半導体TMDのイメージ図(講義資料に基づきリカレント教育ユニットが生成AIで作成)

まず半導体の基礎的な性質として、物質中の電子が移動できる帯(バンド)と、通れない領域(バンドギャップ)があり、これが導電性や光への反応性や発光性を決めることが解説されました。特に、ガリウムヒ素等の直接ギャップ型の物質は、効率的に発光するため、光デバイスとして不可欠な素材です。

半導体は極限まで小さくすることが求められていますが、ナノサイズにすると特有の物理現象が現れます。その性質に着目した量子ドット(人工原子)の開発が進められています。鍜治准教授は、この量子ドットに偏光を持つレーザーを照射することで、電子の磁気的な性質であるスピンを操作・検出する研究を行っており、光を当てるだけで約5テスラもの強力な磁場を発生・制御できることを実験で示しました。

さらに、原子数個分の薄さしかないシート状半導体「遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)」についても分析をしています。TMDは分子間力で結合するため、積層の自由度が高く、従来の材料にはない新しい物性をデザインできる「ネタの宝庫」として期待されています。現代社会のフロンティアはミクロな領域に広がっていると言えるでしょう。


第4回「半導体の地政学」2026.5.16(土)
太田泰彦特任教授(工学研究院 工学系教育研究センター)

近年、資源や技術をめぐる各国間の対立が絶えません。今回は太田特任教授が半導体をめぐる世界各国の情勢と日本及び北海道の今後の展望についてお話をしました。講義では、実物のトランジスタや、製造過程にある半導体の基盤であるシリコンウェハを見て触る機会も設けられました。

左)講義室で披露されたシリコンウェハの実物。右)講義をする太田特任教授。

地政学とは各国の力関係を地理的に考察した学問分野で、イギリスの地理学者であるハルフォード・マッキンダー(1861-1947)がその基礎を築きました。地政学では、地理的な条件がその国の行動や歴史を大きく左右すると考えられています。こうした地政学の視点から半導体を読み解いていくのが今回の講義です。

いわゆるコンピューターは、微小な半導体の部品であるトランジスタによって構成されています。一つのトランジスタは、通電するか、通電しないかを制御するという単純な機能を持っていますが、それらを大量に集積することで、高度な計算を行うことが可能です。つまりトランジスタを狭い面積の中にどれほど集積できるかが性能を決します。先端的な半導体製造には非常に高度な技術を要するため、生産できる国も限られ、一種の戦略物資としての性格も有しています。つまり、仮に生産国が先端的な半導体を供給してくれなければ、高度な製品が生産できなくなる可能性もあるのです。

こうした背景から、日本でも国内で先端的な半導体を生産しようとする動きが進んでいます。熊本県にTSMC社の工場を誘致したことはよく知られていますが、北海道にラピダス社を強力に支援して立ち上げたことも、代表的な例です。日本政府はラピダスを通じて、半導体産業の復興と、国家安全保障の強化という、ふたつの目的を同時に達成しようとしています。

今は、まさに半導体の時代です。この時代の勝者になるためには、物事を細部まで見る「虫の目」に加え、全体像を俯瞰する「鳥の目」が欠かせません。「半導体の地政学」は、こうした時代を理解し、「虫の目」と「鳥の目」を鍛えるうえで、お役に立つに違いありません。


第3回「泡による船舶の抵抗低減 海から取り組むクリーン技術」2026.4.25(土)
朴炫珍助教(工学研究院 機械・宇宙航空工学部門)

海運を支える大型船舶は現代社会の不可欠なインフラですが、国際海事機関は、2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする戦略を掲げています。これに対して新燃料への転換や、硬翼式帆船の開発が進められていますが、それだけでは十分ではありません。大型船舶が航行する際、全エネルギーの約70%は海水との摩擦抵抗によって消費されてしまいます。朴助教はこの問題を解決するために、気泡で船体を包むことで摩擦を減らす空気潤滑法の研究に取り組んでいます。

左)講義をする朴助教。右)船体喫水下に複数設置された小翼(赤い部分にある長方形の部分)。この小翼によって水面から空気が引き込まれて泡が発生し、船体を包むことで摩擦抵抗を低減する。〈写真提供:朴炫珍助教〉

空気潤滑法を採用した船舶は2023年時点において世界中で350隻を超え、普及が進んでいます。しかし依然として、気泡の挙動制御には難しさがあります。朴助教は水中翼による気泡導入(WBI)法を用いて研究を進めており、送風機による空気の補助的導入、喫水の深さ、船速によって変化する気泡の状態をいかに適切に保つかについて研究しています。

模型船を使った実験は北海道大学の施設だけではなく、東京にある海上技術安全研究所の400m水槽でも行っています。朴助教は、気泡の疎と密な領域が周期的に変化するボイド波を人工的に生成する反復注入(RBI)法により、従来の連続注入法よりも高い抵抗低減効果が得られることを明らかにしました。

今後の展望として、超音波センサーで船底の気泡流をリアルタイムに計測し、海況に合わせて最適なボイド波を生成するフィードバック制御の実装が示されました。船舶の省エネ化を通じて、地球環境の保護と国際物流の維持を両立させる研究に対して、受講者とも活発な質疑がなされました。


第2回「積雪寒冷地における住生活の未来」2026.4.18(土)
野村理恵准教授(工学研究院 都市計画学部門)

野村准教授の研究は、「住む」という営みをフィールドワークを通して俯瞰的に理解する点に特色があります。講義では、モンゴルをはじめとした様々な地域の事例をあげながら、最適な生活が「定住のみ」であるという思い込みを捉え直す、住生活の未来像が提示されました。

左)中国・内モンゴル自治区の牧畜風景。奥の建物で定住しながら、手前のゲルでも暮らすという、かつての遊牧生活とは異なりつつも住まいを変えるくらしが息づいている〈写真提供:野村理恵准教授〉。右)講義をする野村准教授

モンゴルの移動式住居ゲルは、自然環境に応じて柔軟に場所を変えられるシステムです。近代化によって完全な遊牧生活はほぼなくなりましたが、季節に応じて都市とゲルや別荘で暮らす二拠点生活が現地では根強く求められています。日本でも気候や生業に合わせた季節移動が存在していました。古くは山での生業のために移動する「出作り(でづくり)」、冬の間だけ除雪の行き届く里に集まる1970年代の施策「夏山冬里」などがその例です。北海道でもアイヌの家「チセ」は、夏と冬で作り分けられていました。これらは過酷な冬を避け、生活を維持するための合理的な仕組みでした。

現代の人口減少への対応として、都市を集約化する「コンパクトシティ」が推進されてきました。また、地方への移住政策も進められていますが、多くの課題が浮き彫りになっています。野村准教授は「二拠点生活」の可能性を検証し、北海道は大きなポテンシャルを持っていると指摘します。空き家を避暑や移住体験の拠点として利活用する提案です。通年居住には多額の断熱改修費が必要ですが、夏限定の利用であれば簡易な改修で済み、低コストで豊かなライフスタイルを実現できます。

最後に、野村准教授は「フロンティアエンジニアリング」を、「なぜ」を「どのように」へと繋ぐものであり、地球規模の視野を持ちながら、生活者の身近な課題を解決するものである、と語られました。受講者にとっても今後の生活の大きなヒントになったようです。


第1回「3次元地図とロボットで支える未来社会」2026.4.11(土)
江丸貴紀准教授(工学研究院 機械・宇宙航空工学部門)

日本は現在、深刻な人手不足に直面し、多方面で社会維持が困難になりつつあります。例えば、大根の選果場での外国人労働者への依存や、老朽化する社会インフラの維持管理、さらに札幌市では年間300億円に達する除雪費用の増大などの課題があります。これらの事例をあげた江丸准教授は、課題解決のために多種のセンサーで3次元の地図を作る仕組みと、それによって的確に動くロボット技術の研究開発や実証実験に取り組んでいます。

左)講義する江丸准教授。右)北大札幌キャンパス内における自動運転の実験(2022年12月)〈写真提供:江丸貴紀准教授〉

第一はドローンの活用です。レーザーで距離を測るライダー(LiDAR)や、詳細な色の違いがわかるスペクトルカメラといったセンサー技術を組み合わせて、危険な防波堤の点検や、農作物の収量予測、広大なバナナ園での病害虫検知などを研究しています。第二は積雪環境下の自動運転です。AIを用いて吹雪による雪雑音を除去し、視界不良でも安全に走行する技術や、夜間の過酷な歩道除雪作業における人検知システムの開発を進めています。第三は、除草剤が使えない薬草栽培のための除草ロボットで、AIが作物と雑草をリアルタイムで識別し、自動で引き抜くシステムを構築しています。

江丸准教授は、講義の最後に本コースのキーワードである「フロンティアエンジニアリング」とは何かを示しました。それは、単に技術的に「できること」を追うのではなく、社会の困り事に対して「必要なこと」を現場に合わせて研究し、現場・社会を止めずに続けられるようにするための工学である、とお話されました。工学の力で社会インフラを支え続けるビジョンが示された講義でした。

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