文学研究院 小田博志先生
北大道新アカデミー2024前期文系 第6回
7月6日に開催した2024年度前期文系コースの第6回目は、大学院文学研究院教授の小田博志先生です。小田先生の講義は、【戦争と平和〜人文社会科学の視点から考える】と題し、行われました。小田先生の講義の様子を皆様にお届けします。
本日お話しするテーマは「平和の人類学」です。人類が長い歴史の中でつちかってきた平和の智慧から学ぶことは、現在の課題を解決する上で非常に重要です。私は香川県出身で、学生時代を関西で過ごし、90年代の後半にはドイツに留学しました。日本に帰ると夏の暑さに驚きました。信州か北海道で働きたいなと思っていたところ、縁あって2001年4月から北海道大学で勤務しています。ここでの勤務も24年目を迎えましたが、最近の気候変動には驚かされます。本日は、平和構築の具体的な事例として、ドイツ・チェコ、東ティモール、そして北海道/ヤウンモシㇼについてお話しします。
まず、ドイツ・チェコの事例です。1945年の終戦後13年経って、ドイツの市民団体「償いの印」がナチスの戦争犯罪への償いを行い、和解を達成するために設立されました。その呼びかけをしたのは元裁判官のロター・クライシヒでした。彼は戦時中ナチスの安楽死政策を刑事告発したことで裁判官の職を解かれ、戦後はプロテスタント教会の役職に就きました。1958年にクライシヒはプロテスタント教会の全国総会で次の呼びかけをしたのです。「私たちドイツ人が第2次世界大戦を始めた。私たちの暴力で苦しんだ国民・民族の皆さんに、ひとつの印として、私たちの手と資材によってその人々の国で何か良いことをさせていただけるようにお願いしたい」と述べました。この活動は次第に広まり、1993年にはチェコのユダヤ人コミュニティがドイツ人ボランティアを受け入れました。
最初のドイツ人ボランティア、フリーデマン・ブリンクトは、窓拭きや掃除などの実際的な作業をきっかけに、ホロコースト生存者のユダヤ人の家庭に入り、そこでその人たちの実体験を聴くことになりました。フリーデマンはユダヤ人の痛みに深い共感をもって耳を傾けたのです。この姿勢が、ユダヤ人コミュニティに受け入れられる一因となりました。彼のような若者が示した聴く姿勢とコンパッション(他者の痛みがわかる心)は、ホロコースト生存者の過去の傷を癒し、未来の和解につながる重要なステップとなりました。
次に、東ティモールの事例です。1701年にポルトガルが東ティモールを植民地化し、1942年には日本軍が占領しました。その後、再びポルトガルが領有を回復しましたが、政変で1975年に東ティモールを手放す決定がなされた後、インドネシア軍が侵攻しました。この軍事侵攻は非常に過酷で、全島民の3分の1が命を落としました。1999年に住民投票が行われ、独立派が多数を占めましたが、その際に反独立派の破壊行為が激化しました。
しかし、東ティモールの人々は非暴力的な抵抗を続けました。彼らはインドネシア兵に対して復讐せず、対話を行なったのです。この姿勢が支持の輪を広げていき、2002年に独立を達成しました。映画『カンタ!ティモール』の広田奈津子監督は、東ティモールの共通語テトゥン語の「イタ」という言葉は「あなた」と同時に「私たち」を意味する、この自己と他者の境界のあいまいな文化が、東ティモールの人々の非暴力的な姿勢を支えたのだと述べています。
最後に、足元に立ち還って、北海道/ヤウンモシㇼについて考えましょう。北海道が「北海道」と呼ばれるようになったのは明治2年です。アイヌ民族はこの島を「ヤウンモシㇼ」(陸の大地)と呼びならわしてきました。この年から北海道/ヤウンモシㇼの植民地化がはじまり、アイヌ民族の暮らしと大地に深刻な変化が生じることになります。藤村久和さんというアイヌ文化研究の専門家は、アイヌの人々は自然を破壊したり支配したりせず、尊重し共存する姿勢を持っていたと述べています。すなわちは大地(モシㇼ)とそこに含まれる川や山、森、海などすべての存在にいのちを感じ、対話の相手としてきたのです。
そして、北大の正門から道なりに歩いていくと中央ローンという緑地があります。そこを流れているのがサクㇱコトニ川です。これは現在人工的な水路として復元されていますが、その水は浄水場から供給されています。元々の水脈は1951年の札幌駅の地下工事で断たれました。アイヌは川を生きものと捉えて、尊重してきました。するとこのときサクㇱコトニ川のいのちは断たれたと言えるでしょう。
いのちある大地に根ざした暮らしが、深い意味での脱植民地化と平和の実現につながると考えます。しかし開発がこれだけ進んだ今、すぐに方向転換をするのは無理かもしれません。冒頭で「他者の痛みのわかる心」ということを申し上げました。その「他者」を大地にまで広げてみたらどうでしょうか。いのちの断たれた川を「悼む」ことから、その感性を取り戻せるのではないかと思います。最後に一編の詩「川の供養に」を読み上げたいと思います。
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