活動報告

文学研究院 安酸香織先生
北大道新アカデミー2024前期文系 第7回

2024年度前期文系コースの第7回目は、大学院文学研究院准教授の安酸香織先生です。7月20日の講義では【境界域における紛争と「平和」―アルザス史を題材に】と題した講義が行われました。
まず、本講座において「戦争と平和」ではなく「紛争と紛争解決」に重点を置く理由を述べたいと思います。平和を脅かすものは国家間の戦争に限らず、広く柔軟に考える必要があります。また具体的な紛争解決の方が理解しやすいと考えました。平和は多くの人が求めるものですが、その意味や実現のための方法は時代や地域などにより異なります。中世における「ラント平和」は、暴力の存在を前提としつつ、特定の人や場所、特定の日や期間にフェーデ(私闘)を禁ずる試みでした。帝国レベルでのラント平和令や地域レベルでのアイヌングにより暴力のコントロールを試みるなかで、近世にはフェーデの数は減少しましたが、ヨーロッパのレベルでは恒常的戦争状態にあり、「平和なき近世」とも呼ばれます。
次に、中近世アルザスにおける紛争と紛争解決の話に移ります。アルザスは紛争が生じやすい境界域であり、多様な勢力が交わる地域でした。特に三十年戦争の時期には、フランス王家とハプスブルク家の対立が激化し、フランス王がアルザス周辺の諸権力を保護下に置くことで戦争に介入しました。「アルザス譲渡」は、1648年のウェストファリア条約で正式に決定され、フランスがアルザスの一部を譲り受ける形となりました。しかし、元々ハプスブルク家が持っていた領地や権利が譲渡された一方、アルザスには多様な権力が存在し、紛争解決には帝国とフランスの両方の手段が利用されました。その具体例として、フランス王権と十都市の紛争では、両当事者が任命した調停者8名による調停が帝国議会にて行われました。
最後に、戦争、平和、領土割譲の問題に移ります。近代の領土割譲は国家間のものとなり、家門的性格は見られなくなりました。1870年のプロイセン=フランス戦争では、アルザス・ロレーヌがドイツに割譲されることとなりました。フランス国民議会ではアルザスとロレーヌの代表が反対を表明しましたが、最終的には議員の圧倒的多数の賛成により領土割譲が承認されました。こうしてアルザスは祖国フランスの平和のための犠牲としてドイツに割譲され、両属は許されず、国民感情と結びつきつつ独仏対立の火種となっていきました。二次大戦後には独仏の融和が図られ、アルザスはヨーロッパに開かれた地域として平和の象徴となりましたが、近年ではヨーロッパを含め世界各地で国家の利益を最優先に考える傾向が再び強まっています。現在も紛争や戦争が続く中で、平和の実現には多くの課題が残されています。異文化理解を深めることで、現代の平和に向けた取り組みに繋がることを期待しています。

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