活動報告

先端生命科学研究院 芳賀永先生
北大道新アカデミー2024前期理系 第8回

2024年7月27日に最終回を迎えた、今年度前期の北大道新アカデミー理系コース。まとめの回を締めくくるのは、芳賀永教授(北海道大学大学院先端生命科学研究院 研究院長)の「細胞が織りなす神秘の世界を「科学」する」です。
今回の理系コースの共通テーマは「生命とは何か」です。8回の講義を通じて、講師の先生方が持つ生命についての考え方が示されました。これらの生命観に共通するのは「科学」の視点から生命を捉える点です。今回の芳賀先生の講義はその「科学」について整理し、「科学」で「生命とは何か」の問いに答えられるのかについて考えます。
講義では、最初に芳賀先生のがん細胞についての研究が紹介されました。科学者はがんを研究する時、個体を細かく要素に分解していきます。人の個体を、臓器に分け、臓器を組織に分け、さらに臓器を構成する生命の最小単位としての細胞にまで分けます。しかしそれで終わりではありません。細胞の構造をさらに細かくみていくと、核や細胞膜などに分けることができます。細胞の核を構成するのは人間の場合46本の染色体です。染色体は細かく折りたたまれた1.5メートルほどのひも状の分子でできています。これがDNAです。DNAをさらに要素に分けると、4種類の塩基で構成されています。並んでいる塩基が3つセットになって特定のアミノ酸に対応します。このアミノ酸がつながり、私たちの身体を構成しているタンパク質になります。つまり、DNAにはタンパク質を作るための情報が書き込まれているのです。これが遺伝子です。遺伝子を元にして作られた、1つひとつのタンパク質が相互に作用することで細胞は機能します。
がんは遺伝子のエラーによって生じる病気です。何らかの原因で遺伝子の配列が書き換わることを変異といいます。変異が生じると元とは異なるタンパク質が生み出されます。タンパク質が変わると細胞が正常に機能しなくなります。例えば、がん細胞は無秩序に増え続けます。これは増殖を抑える働きを持っていたタンパク質が働かなくなるからです。また、がん細胞は細胞を壊して移動するようになります。これを浸潤といいます。浸潤したがん細胞が他の場所で増えることを転移といいます。がん患者の8割が転移が原因で亡くなるそうです。ではなぜがん細胞は移動することができるのでしょうか。実は細胞はもともと移動する能力を持っています。がん細胞が移動するのは、正常な細胞が持っている「移動する能力の発現を抑制するタンパク質」が機能しなくなったためだと考えられます。芳賀先生は、細胞の中のタンパク質のレベルで、がん細胞が動くしくみを突き止めることを研究しています。このしくみの解明は一筋縄ではいきません。細胞の中のタンパク質は相互に関係しているからです。「移動する能力の発現を抑制するタンパク質」のスイッチを入れるタンパク質、そのタンパク質を機能させるためのタンパク質…、細胞の中にある膨大なタンパク質のシグナル経路を回路のように解き明かしていきます。
このように科学は、調べる対象をバラバラのパーツに分けて、1個1個のパーツを取り出してその形やしくみを調べます。これを要素還元法といいます。17世紀以降に登場した自然認識の方法です。要素還元法は機械を分解してそのしくみを調べることに似ています。そして、科学が示すのは「間違っていると確かめられていない仮説」です。実験や観察を通じて実際に確かめることのできる仮説を反証可能性のある仮説といいます。実験や観察から確からしさを導くことが帰納的推論です。帰納的推論の正しさは、統計的な再現性や平均値に裏付けられます。現代の科学は、対象を要素に分け、反証可能な仮説を、対照実験を通じて確かめ、統計的に「間違っているとはいえない」ことを結論することで、対象を理解する方法といえます。このような科学の方法で「生命とは何か」という問いに答えることはできるのでしょうか。この問いかけに対して芳賀先生はドイツの文豪ゲーテが考えた自然を認識するためのアプローチを紹介しました。それは、観察対象が観察方法を規定することを前提として、徹底的な自然観察とそこから得られた経験から理論を導く、自然認識の方法です。この方法は、対象全体を捉えることで、対象を要素に分解することでは見落としてしまうことを捉えることができるようになります。芳賀先生は「生命とは何か」を考えるためには、これら二つの自然を認識する方法を架橋する、第三の方法論が必要なのではないかと述べました。8回の講義を総括する講義となり、受講生からは「なにげなく使っていた科学という言葉について考える機会をいただいた」とのコメントがありました。

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